地域の生業(なりわい)は何か?@京都府与謝野町編【Part1】
こんにちは。ハマダです。
ここ数日は、猛暑に次ぐ猛暑でエアコンがないとやっていけないですね。
とはいえ、エアコンを使うことで外はより暑くなるというジレンマはありますが笑
さて、今回のテーマは「地域の生業(なりわい)は何か?」ということで
特定の地域を題材にして、その地域は「その地域の地場産業は何か?」「実際に、何を生業にしている人が多いのか?」ということをまとめたいと思っています。
何故、このテーマでブログを書くのか?
以前、他の地域で活動する経営者の先輩とこんな話をしました。
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先輩 「君の地域の産業は何が強いの?」
ハマダ「丹後ちりめん。織物ですね。」
先輩 「確かに有名だよね。ちなみに多くの人が、織物を生業にしてるの?」
ハマダ「いや.....そうじゃないっすね」
先輩 「織物は地場産業として、有名かも知れないけども、現在、地域の人の生業が何か?というのを把握してみると良いと思うよ。」
ハマダ「分かりました!調査してみます!」
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ということで、今回はこのテーマで記事を書くことになりました。
「地域の伝統産業・地場産業」「今、地域の方が生業にしていること」「これからどうなっていくのか?」というのを数回に分けて、書いていきたいと思っています。
今回、扱う地域は「京都府与謝郡与謝野町」
京都府与謝郡与謝野町(以下 与謝野町)は、ハマダの生まれ故郷である地域です。
人口は20,790人(2018.4/1 時点)で192平方kmの面積です。日本三景である天橋立が近くにある町でございます。
こちらは、与謝野町にある大内峠一字観公園から見える「天橋立」の景色です。ちなみに、この場所は、僕の通っていた小学校から、非常に近いところにあり当時は、よく登っていました。
与謝野町の地場産業は何か?
(写真は右記サイトから引用 http://ccn-j.net/yosano/ )
与謝野町の地場産業は、「織物(丹後ちりめん)」と「農業」と言われています。
中世より、織物産業で栄え、近世に京都の西陣で「ちりめん製織技術」を学び丹後ちりめんが産まれたと言います。丹後ちりめんは、「ガチャマン」と言われた最盛期では「織り機をガチャっと一織りすれば万単位でお金が儲かる」と言われていました。
1975年には、丹後地域には、10100戸もの織物事業者があり、22,797人の就業者がいたと言われております。
丹後地域=与謝野町 というわけではないので、正確ではないのですが22797人というのは、今の与謝野町の人口よりも多い数字です!その規模の人数が、丹後ちりめんを生業にしていたわけです。
しかし、丹後ちりめんの事業者数は800社程度と最盛期に比べて減少しております。また、現状の事業者の多くは「設備の老朽化」と「後継者不足」という課題に直面しています。事業者の9割程度が、「後継者がいない」という状況になっています。そのような流れの中でも、丹後ちりめんの界隈では、様々な取り組みがなされています。今回はそのいくつかをご紹介させていただきます。
丹後ちりめん、日本遺産へ認定
昨年(2017年)には、丹後ちりめんが日本遺産へと認定されるというニュースがありました。これにより、「丹後ちりめん」というブランドにより箔が付いたのではないでしょうか?
丹後ちりめん パリへ進出!
丹後ちりめんは、海を渡ったパリにて、今脚光を浴びています。パリの有力ブランドのクリエイターが、パリコレにて丹後織物の素材を使ったドレスを発表するという動きが起きています。
(写真は、京都新聞の下記の記事より引用)
丹後織物、パリコレで発信へ 京都、仏ブランドと交流 : 京都新聞
丹後ちりめんを使ったオールハンドメイドのネクタイ
丹後ちりめんの素材を使ったネクタイなどが百貨店等で販売されています。
こちらは、クスカ株式会社という会社ですが、1936年から2010年までは丹後ちりめんを製造する会社として、活躍していました。しかし、着物の生産量が減少したことによってネクタイブランドへと転身したそうです。クスカが販売するオールハンドメイドのネクタイは、非常に注目されています。
今回は「与謝野町」と「与謝野町の地場産業について」紹介したところで、終わりたいと思っています。次回は、「現在の与謝野町の生業について」書きたいと思っていますので、お楽しみに!
以上になります。
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